日本国内はロッキード裁判のまっただ中で、小佐野賢治や橋本登美三郎、佐藤孝行らに次つぎと有罪判決が出ていたときである。
いっぽう国外では南大西洋のフォークランド諸島で、軍事政権のアルゼンチンとサッチャー政権のイギリスが、その領有権をめぐり、航空母艦や戦闘機を投入した戦闘状態に入っていた。
そしてアメリカでは、「強いアメリカ」をスローガンにして前年の一月に大統領に就任したレーガンが、それを強調した経済政策・レーガノミックスを発表したばかりだった。
計を開始したのはそのころである。
前年の四月に初飛行に成功したスペースシャトル計画は、三回の試験飛行をくりかえしたのち、いよいよ実用飛行に入るところだった。
さまざまなプロジェクトを候補にあげて研究をしていたNASAは、ひとまず区切りのついたスペースシャトル計画につづくものとして、有人宇宙基地計画を採用した。
実験、観測、そして宇宙工場での新素材製造など、将来における宇宙環境利用の場として、また月をはじめとする他の惑星探査の中継基地としての機能をもつ大型宇宙ステーションの建設計画である。
いっぽうESA(ヨーロッパ宇宙機関)は、無人プラットフォームEURECAの宇宙実験室である。
地上からのリモート・コントロールにより宇宙空間で長期間の実験や観測をしたのち、ふたたびスペースシャトルで回収するというシステムだ。
すでにスペースシャトルを利用した有人の宇宙実験室「スペースラブ」で経験を積んだESAは、さらに一歩踏み出そうとしていたのである。
た。
そして八二年の六月、ESAをはじめ、CSA(カナダ宇宙庁)やSTA(日本の科学技術庁)など西側友好国へ参加を要請したのだった。
八三年三月。
レーガン大統領は、ソヴィエトからのICBM攻撃に対抗して、宇宙空間の軌道上に四段階の防御システムを設置するSDI・戦略防衛構想、いわゆる「スターウォーズ計画」を発表した。
これに対してソヴィエトは、核戦争の脅威を拡大するものだと猛反発してきた。
自分のことを棚に上げてというか、傍目には奇妙な理屈としか思えないが、実のところはICBMをはじめとする軍備の負担が大きくなりすぎて、SDIに対抗するほどの経済的余力などなかったのである。
しかしアメリカ側とても、現実にはすぐにSDIを具体化できたわけではない。
計画に投入されることになっていた数々の防御システム、たとえば宇宙空間でICBMを破壊するレーザー兵器やレール・ガンなどは、まだ研究中にすぎなかったのである。
こうして米ソ関係が緊張していた八四年の一月二十五日、レーガン大統領は一般教書演説で、とだ。
私は、恒久的な有人宇宙基地を十年以内に建設することを指示する」とぶち上げたのだ。
また三月にはNASAのペッグス長官が、レーガン大統領の親書を手に各国首脳と会談し、あらためて正式な要請をした。
ついで三カ月後の六月、ロンドン・サミットでも宇宙ステーション建設計画は姐上にあげられ、具体化について各国間で話し合われるなど、着々と基盤づくりがすすめられた。
そしてレーガンの一般教書演説からちょうど一年後の八五年一月、まずESAが参加を承認した。
ESAが独自にすすめていたEURECA計画を発展させて「コロンバス計画」とし、国際宇宙ステーションの予備設計段階から参加することを決定したのである。
ユレーター、すなわちカナディアン・アームとよばれているロボット・アームを開発しているので、その技術は宇宙ステーションでも重要なポイントになっていた。
ついで五月、日本のSTAも予備設計に参加することを了承。
宇宙開発委員会に「宇宙基地特別部会」が設置されて、基本的方針についての検討が開始された。
日本の場合、窓口はSTこのあと参加各国の担当機関のあいだで、宇宙ステーションにどのような機能をもたせるか、どのように活用するかなどの検討作業がはじまった。
ちょうど、日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故があったころだ。
この時代は、世界各地でさまざまな出来事があり、一つの節目になっていたように思われる。
たとえば日本では電電公社が民営化されてNTTとなり、専売公社も日本たばこ産業株式会社翌八六年の一月、スペースシャトル「チャレンジャー号」が爆発事故を起こした。
まさかの事態に、少なからずスペースシャトルというシステムの信頼性がグラついたが、レーガンはいっぽう世界には、キナ臭さが漂っていた。
四月、ソヴィエトではチェルノブイリの原発事故が発生し、ヨーロッパ中に放射能汚染の危機感が走った。
そんななか、十月にはアイスランドのレイキャビクでレーガンとゴルバチョフ書記長(当時)の米ソ首脳による軍縮会議が開催されるが、完全な決裂状態に終わってしまう。
が、翌八七年に入るとソヴィエト内部では、ゴルバチョフのもとでペレストロイカがはじまり、少しずつ情勢は変化の兆しを見せる。
こうしたなかでも宇宙ステーション建設計画は着々とすすんでいた。
日本側が計画したのは、ラブに似た実験用の与圧部と、物資の搬入搬出のための補給部、そして曝露部と呼ばれる宇宙空間にむき出しにした実験設備からなる大型の実験棟で、無重力と高真空の環境で新素材の開発実験や長期観測などをめざしたものだった。
参加各国におけるこうした積極的な取り組み姿勢と、スピーディーな動きにより、宇宙ステーション建設計画はしだいに現実的なものとなっていた。
その影響か否か定かではないが、ソヴイエトはこのころから態度を軟化させてゆき、年末には米ソ間で中距離核兵器の廃棄条約が調印された。
年明けた八八年、宇宙ステーションの計画は予備設計段階からさらに発展して本格的開発へ向けての調整作業に入り、九月には参加各国のあいだで政府間協定IGA。
これにつづいてNASAをはじめとする各国の担当機関で了解覚.を運び上げるという計画だった。
ソヴィエトのペレストロイカはその間にもどんどん進行し、八九年に入ると東欧全体にまでひろがっていった。
そして九一年の七月にはワルシャワ条約機構も解体され、十二月にはついにソヴィエト連邦も消滅し、独立国家共同体として再出発した。
いっぽう「フリーダム計画」は八九年の一月に誕生したプッシュ政権のもとで予算を削減されはしたものの、さして大きな変更はなく、参加各国ではそれぞれの分担に応じて開発の準備に入っていた。
クリントンの「中止」案宇宙ステーション計画が揺れるのは、このあたりからである。
まず、九三年の一月に発足したクリントン政権が、この計画の中止を打ち出したのだ。
NASAをはじめとする各国の担当機関が、すでに開発に着手していたにもかかわらず、だ。
理由はアメリカの財政再建を優先させるためではあったが、「フロンティアの開拓」という看板をあげながらもワルシャワ条約機構解体・ソヴィエト連邦消滅と同時に計画の中止を提案するなど、何をいわんや。
そのようなことをすればアメリカの信用が失われることは目に見えていた。
そのため「中止」という案はまもなく取り下げられたものの、予算は大幅に縮小されることになった。
当然ながら、宇宙ステーションの規模も縮小しなければならない。
こうなると、もはや「フリーダム」ではない。
計画の見直し作業というより、設計段階からのやり直し作業である。
そして九三年の六月になり、ようやく再設計の案が「デザイン・アルファ(α)」としてまとめられた。
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